郷土ニュース 熊谷だよりNo5-4 体操祭り [youtubeから]

youtubeから、1965年に開催された、埼玉県熊谷市での体操祭りの様子をご紹介します。

このブログにリンクさせていただいている「微ゑろblog 2.0」の管理者のシモンさんがご病気のようで、心配しています。詳細は明かせませんが、彼とは大学時代の友人で、人生で最も幸せな時代を共有した仲として一日も早い快癒を祈るばかりです。



今日ご紹介する映像は、昭和35年、埼玉県熊谷市の市民球場で行われた体操祭りの様子です。
熊谷市立熊谷図書館さんがアップロードしております。
このように、いろんな公文書館にアーカイブされている映像資料が、youtubeによって陽の目を見ることが出来るようになったことは、シンプルに喜ばしいことだと思います。

昭和35年=1960年といえば、私もまだ生まれていなかった頃なので、史料映像という意味で興味深いです。参加しているのは、市内の小中高生、一般レクリエーション団体に加えて、航空自衛隊熊谷基地自衛官の人達(=おそらく航空自衛隊熊谷基地の皆さん)です。

「体育祭」ではなく「体操祭り」という語感が時代の古さを感じさせるだけでなく、自衛隊の皆さんと市民の皆さんが一同に介してレクレーションをする、という光景が、最近は滅多に見なくなりました。
日頃の国防に加えて、災害時の救援活動などで、多くの人には「自衛隊は感謝すべき対象」と思われているにも関わらず、このような催しを行おうとすると、必ず一部の市民団体が反対して潰してしまうそうです。

戦後15年しか経ていない頃の方が、イデオロギー的にも「中立」だったことを示す傍証のような映像と言えるでしょう。
コメント(2) 

コメント 2

匿名

おはようございます。管理人様がご病気とのことで驚いておりますが、ご回復をお祈りしています。
貴重な映像ありがとうございます。昭和35年ということで体操服にも時代を感じます。私の世代だと上下白の体操服はもう少なかったです。短パンは原色が主流でした。
自衛隊員と合同という体育祭は初めて見ました。それだけに普段見慣れた市民体育祭とは少々趣が違うように感じます。
戦後15年という時期においては、一般市民と自衛隊に共存意識があったようですね。おそらく現在埼玉ではこのような形式の体育祭は実施されていないと思います。
by 匿名 (2022-11-12 07:31) 

Sei

匿名様
コメントを頂きありがとうございます。

もうこれは、資料映像という意味合いにおいて、私たちが生まれてから体験してきたこととかなりかけ離れた光景だったかと思います。

想像ですが、おそらくこの時代、自衛隊に反発を感じていたのは全学蓮のような一部大学生だけだったのではないでしょうか?
そういった人たちが「団塊の世代」として年々齢を重ね、社会への発言力を増していった過程で、徐々に一般市民と自衛隊の距離感が醸成されていったのかもしれませんね。

齢を重ねると病気の機会も増えますので、微ゑろblog 2.0の管理人氏のように体調を崩される確率も増えます。
匿名様も、健康で楽しい生活を過ごされますように。
by Sei (2022-11-13 11:06) 

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