私たちのまち 秋川 -21世紀の田園都市をめざして- [youtubeから]

youtubeから、昭和57年(1982年)の東京都秋川市(現:あきる野市)の広報映像をご紹介します。

2022年も残すところあと2週間と少しとなりました。いつも年末に思うことですが、一年というのはつくづく早いものですね。



今日ご紹介する映像は、1982年(昭和57年)、東京都秋川市(当時)が市制施行10周年を記念して製作した広報映像です。

秋川市は、 秋多町が市制施行・改称して1972年に発足した市です。この市名は長く続かず、1995年に秋川市は五日市町と合併し、あきる野市という当時流行だったひらがな交じりの市になっています。

私は、昭和が平成に移る時を中央線の国分寺にある会社で迎えました。「微ゑろblog 2.0」の管理人、シモンさんと出会ったのもその頃です。
会社の同僚も、多くが中央線や南武線で通勤していました。あきる野市に隣接した日の出町に親しい上司がいたのですが、10数年前に会社構内の不慮の事故で亡くなられました。

そんなこともあり、東京都多摩地区にはいろいろ深い思いがあります。単なる都心への通勤のためのベッドタウンではなく、あえて「東京の田舎」という矜持を保ち、これからも独自の文化を保持し続けてほしいと願っています。
コメント(2) 

コメント 2

匿名

おはようございます。貴重な映像ありがとうございます。現在のあきる野市の昔の姿ですね。ヤマザキパンの看板や喫茶店に昭和を感じます。23区と比べると長閑な地域であり、ビル群も見当たりません。しかし四方を緑に囲まれ、その中でのびのびと生きる子供たちの映像が印象的です。彼らも今は五十路近くとなるでしょう。そして子供時代をすごした故郷秋川を懐かしく思っていることでしょう。
検索で今のあきる野市内を見ると、それほど変わっていない風景で緑を維持しています。人口は78000人となってます。あきる野市の自然がこれからも損なわれず、維持されていくことを祈ります。
by 匿名 (2022-12-17 07:06) 

Sei

匿名様

コメントを頂き、有難うございます。
ヤマザキパンの看板は既に昭和のアイコンなのですね。私が昭和的な看板として想起するのは、「いの一番」とか「プラッシー」のような、お米屋さんや、「フマキラー」のような大塚製薬の看板ですが、それらは一段と古いですね。

これからも東京の田舎であり続けてほしいと思いますし、それに応じた都政が施行されることを希望します。

by Sei (2022-12-17 08:20) 

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